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横井小楠の天道をめざして

横井小楠の天道をめざして

横井小楠の人生を遡ってみよう。

第 2 回
横井小楠の人生を遡ってみよう。

小楠は明治二年に刺客に襲われ、61歳で死んだ。

小楠は普段から、アメリカのワシントンを聖人とし、民主主義に興味があったため、狂信的な攘夷派に殺されたとも言われる。

小楠は、学者であって、政治家ではなかった。政治家というものは周りを見て自説を論じるものだが、学者は周りがどうのこうのとは考えにない。敵を作ってしまうのである。

あの血なまぐさい時代、小楠が暗殺者の標的になるのは当然のことであった。自由に意見が言える時代ではなかった。

それにしても、小楠ほど、当時多くの維新の志士にその思想、知識を望まれていたのに、肥後熊本細川家中での扱いは酷いものだった。あのときの肥後の侍の小楠に対する態度は、後世の私から見ると、

中小企業の閑職のサラリーマンが、一流企業の社長に経営部門への出向を誘われたのを、会社の同僚、上司がやっかんで、追い落とした。

としか例えようがない。

小楠は、越前福井の松平春嶽に請われ、政治顧問となる。しかし肥後藩は、頑強に抵抗した。そして、その緊張状態のなかで

「士道忘却」

事件が起こるのである。事件の詳細は次回に。
この事件によって、横井小楠は、武士の身分を取り上げられ、禄を失うのである。

以下 次回




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